淡路島の城跡を巡ります。
今回は、三原川河口にある 叶堂城(感応寺)。
昭和54年に、石垣ごと移転しました。

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南淡路の主な城跡。
-淡路島、城跡めぐり-
淡路島の城跡といえば
洲本城 でしょうか。
でも、この城も
天守閣は残っていません。
(模擬天守です)
残念ながら、
天守閣のあるお城は
淡路島には残っていません。
今回訪問する 叶堂城 も
天守閣はなく、
現在は、石垣の上に
お寺さん(感応寺)が建っています。
●・・・現感応寺(叶堂城)、 ●・・・旧感応寺
・・・=旧河川
この付近の三原川は
たびたび大雨が降ると氾濫してました。
その為、
昭和54年から
大規模な河川改修が行われました。
叶堂城 は
御原橋(みはらばし) より河口にあったのですが
河川改修により、300mほど上流に
石垣とも移動しました。
1970年台の航空写真。
実線が現在の河川。
みてのとおり
旧叶堂城 は河川の中。
河川改修により消滅・・・。
Googleマップ。
写真中央が 山本歯科 。
その南側に 旧叶堂城 がありました。
山本歯科 さんの西側に石碑があります。
御原橋北詰交差点。
写真左側に 御原橋 。
正面の民家、左側の空き地が
たぶん、旧感応寺参道だったと思います。
御原橋北詰交差点。
正面に 御原橋 。
現在、 御原橋 は、拡幅工事中。
山本歯科。
叶堂城 は、 山本歯科 の
左側(河川敷) にありました。
叶堂(感応寺) は
あとで紹介しますが
10mほどの石垣の上に建っていました。
この付近から三原川に向かって
感応寺本堂 への階段があったと思います。
山本歯科 さんの裏側に石碑があります。
「史跡叶堂城跡」
石碑前から。
左端に 山本歯科 。正面は 御原橋 。
写真中央の河川敷に
叶堂城 がありました。
写真中央に現在の
感応寺 が見えてます。
御原橋(みはらばし)。
欄干が瓦で飾られています。
南あわじ市は
いぶし瓦の町です。
御原橋 と 感応寺(叶堂城) 。
御原橋 (県道31号線) 。
御原橋 から 山本歯科 。
改修前の三原川河口は
叶堂城 があったため
その部分だけ川幅が狭くなってました。
それで
よく氾濫があったのです。
御原橋から感応寺(叶堂城)。
みてのとおり
立派な石垣の上に
感応寺 は建っています。
改修前も、こんな感じで
そのまんま、移動してます。
三原川上流方向。
すごい改修工事だったんですね。
三原川左岸から。
写真左が、河口方向。
感応寺 。
叶堂城 は
1600年に 志知城 に代わる
水軍基地として
豊臣氏の代官 石川氏 が築城。
志知城 は
ここから4kmほど大日川上流に
ありました。
でも、
関ヶ原の戦いで敗れてしまい
叶堂城 は廃止されました。
【関連記事】
「スーパーにある外堀跡、志知城を散策」
三原川と大日川の合流点。
これも、氾濫の原因でしょうか。
御原橋 。
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それでは、右岸敷きにある
現在の 感応寺 に行ってみましょう。

感応寺。
関ヶ原の戦いのあと
1621年に感応寺は建てられました。

階段をのぼると本堂。
感応寺 は
もともと 倭文(しとおり)地区 の
感応寺山 にありました。
1508年に火災にあって古津路叶堂へ移転。
でも、
1600年に 叶堂城 を築くために
またまた移転。
でも、
すぐに関ヶ原の戦いで廃城になったため
再び、ここに建てることになったのです。
さまよえるお寺さんですね。
ある意味、気の毒なお話。

三原川と大日川の合流点。
手前が 三原川 。

三原川改修記念碑。

ご覧のように立派な石垣です。

もともとお城だったのが
よくわかります。

河川改修によって
城跡 がなくなったのは
残念ですが、
この周辺の住民の事を考えると
仕方ないですね。
次回の 淡路島城跡巡り は
「黒田官兵衛所縁の城、志知城」
です。
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